新・カフェ長ブログ

旅や日々の暮らしで気づいたこと(もっぱらなんてことない話)

【 ハンガリー🇭🇺旅行記 ① 】〜ブダの丘より青きドナウ川を望む〜

ハンガリー🇭🇺 ① 〜ブダエリア〜

ハンガリーは、モノクロフィルムやアナログカメラにおいても、私にとっては外せない国のひとつ。この年カフェ長は、もう日本ではどうやっても手に入りそうにない幻の印画紙を求めて、ハンガリーへ向かいました。
印画紙を見つけたら大人買いする予定だったので、旅の予算は切り詰めて、アパートの一室を借りての自炊生活を決行。

とはいえ、やはりあちこちステキなものばかり・・誘惑に勝てないカフェ長のハンガリー旅記録です。

 

 

まずは復習がてら、

ハンガリーって?

場所:こちら ↓

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中央ヨーロッパの内陸国です

・首都:ブダペスト

・面積:93,030km2 (日本のおよそ1/4)

・人口:972万人 (日本人のおよそ1/13)

・通貨:HUF(ハンガリーフォリント)

・歴史:

   島国ニッポンから見たヨーロッパの歴史は本当に複雑。私の印象では、いつも誰かに酷い目に遭わされ、損を押し付けられ、でも意地とプライドで無謀に戦い生きながらえてきた国でした。
本当に本当に簡単に(怒られちゃうレベルで)説明すると。
始まりは9世紀、マジャル族により建設された王国。16世紀にはオスマン帝国領となり、1867年にはハプスブルク家の統治でオーストリア=ハンガリー帝国となります。

やがて1918年の第一次世界大戦で敗戦国となりオーストリアと分離、一時は独立したものの、1920年再び王制ハンガリー王国となり連合国側により国土の72%、人口の64%を失います。

周囲から孤立したハンガリーは1930年代後半からナチス・ドイツに協調します。そしてむかえる1949年第二次世界大戦ではドイツからの圧迫を受け枢軸国に加わり、またしても敗戦国となります。

1946年に成立したハンガリー人民共和国はソ連の占領下、1947年のパリ条約以降、1949にハンガリー人民共和国を成立するも永きに渡りソ連の圧は続きます。

1980年代後半から民主化運動が始まり、1989年、現在のハンガリー共和国となりました。

 

そんなハンガリーの公用語はハンガリー語とマジャル語。思いのほか英語が(いや、私の英語がか・・)通じず、言葉のヌリカベ君に行く手を阻まれます。あ、ホテルや空港は英語で大丈夫です。
英語すら全然大丈夫じゃないカフェ長、(特に地方の町では)もっぱらジェスチャーとイラストと、スマイルでコミュニケーション(笑)

 

 首都ブダペスト到着

フライトは関空からドバイ経由。

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Emirates Airline ドバイ経由でブダペストへ

乗り継ぎに8時間あったけど、真夜中だったので空港内で過ごしました。

↓ 世界中どこでも安心のスタバで4時間ww

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空港内で読んでいたのは【ドナウの旅人/宮本輝】笑

ブダペスト空港到着。(ハンガリー唯一の空港です)

初日滞在のホテルへは空港から街へのシャトルバスで向かいます。

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ホテルの名前を伝え、シャトルバスのチケットを購入

 

アートテル・ホテル

Ben Rakpart16-19

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ドナルト・サルタンプロデュースのデザイナーズホテル(4★)

首都ブダペストは、ドナウ川を挟んで西側のブダと東側のペストの2つの街から成ります。ブダ側ドナウ川沿に建つこのホテル。

デザイナーズだけあって部屋のあちこちにアート。しかしながら何よりのアートは窓からの景色。眼前に流れる圧巻のドナウ川。なけなしの英語で「ドナウ川が見える部屋に泊まりたい」と伝えて本当に良かった。

対岸に見えるのは国会議事堂です。

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対岸に見えるのは国会議事堂

 

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ドナウ川に沿ってトラムが走ります

 

ドナウ川

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夕刻のドナウ川

ドナウ川は全長2,860km、水源はドイツ南部の森林地帯「黒い森」で、中央ヨーロッパを東西に10ヶ国に跨ぎ流れ黒海へ至る大河。ヨーロッパのライフラインとして、多種多様の人々、宗教、文化を結合しその歴史を育んできました。

ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ウクライナ

その中で、ブダペストは「ドナウの薔薇」「ドナウの真珠」など様々に称されます。

その理由は街を歩いて実感出来ました。



ブダ散策

観光のハイライトエリアであるブダ。その地形は丘陵で、丘の上には王宮が構え、すそのは閑静な住宅街です。本来なら観光名所と呼ばれるところにあまり惹かれない私ですが、空港から利用したシャトルバスの運転手さんが、「ブダペストに初めて来たのなら、まずは王宮の丘からドナウを眺めてごらん」と言ったので。うん、多分そう言ったと思うので。

 

そんなわけで、「王宮」「漁夫の砦」「三位一体広場」「マーチャーシュ教会」などなど、巡って来ました。

 

丘のふもと

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ビックリした〜

王宮の丘のふもとは閑静な住宅街。

掃除の行き届いた通りや、家々の装飾、行き交う人々の様子から、ゆったりと穏やかな生活感が伝わってきます。

 


漁夫の砦

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Halászbástya

1895〜1902完成
建国100年を記念して建造されたネオロマネスク様式の砦

 

 

マーチャーシュ教会

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Mátyás-templom

ベーラ4世により13世紀半ばに聖処女マリア捧げ建てられた正式名称は「聖母マリア聖堂」

with 左端にイチャコラカップル。

 


三位一体広場

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Szentháromság tér

中世ヨーロッパで猛威を奮ったペストの終焉を記念し三位一体像が建てられました。

 


セーニチェの鎖橋

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Szentháromság tér

セーニチェイシュトバーン伯爵の提唱で1849年、ブダとペストを結ぶ最初の橋が完成。全長およそ350m

ブダとペストを結ぶ橋は4本あり、北から、マルギット橋、セーニチェ橋、エルジェベート橋、サバッチャーグ橋、中でもこのセーニチェ橋の夜景は世界的にも有名。

 


ブダの丘からは、眼下に悠然と流れるドナウ川。

ドナウの向こうにペストの街を眺めます。

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青きドナウ川と呼ばれる所以がわかった瞬間

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夕刻、丘の上からドナウ川を見て驚きました。

そこに流れるのは、まさに、青きドナウ川

ホテルから見た川の色は黄土色だったのに、丘の上から望むドナウ川は本当に美しい青色なんです。空と同じ色。青きドナウ川に感動。

 

シャトルバスの運転手さんが勧めてくれた理由がよく分かりました。ありがとう。

 

こうして旅の初日は終了。

ホテルに戻り2日目からに備えます。

写真は時間毎にその美しさを変えるドナウ川。

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撮影 23:00

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撮影 5:30

 

翌朝、2日目からはペストの街へ移動。

いよいよアパート自炊生活です。

出発前にホテルの朝食でしっかり食い溜めして臨みます!笑笑。

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にしても朝から食べすぎですねw

 

 

ハンガリー🇭🇺②〜ペストエリア〜 へつづく